零戦の振動 -開催経緯のご紹介

今日は、前回の記事で「To be continued..」となっておりました「零戦の振動」セミナーを開催するに至った経緯についてお伝えしたいと思います。

前回の記事はこちら

元をたどれば、いまから20年ほど前までさかのぼります。今回のセミナーで講師を勤めさせていただきました筆者はまだ20代だったのですが、ある日突然、振動解析担当となりました。「これは面白そうだ!」と思うのもつかの間、大学での不勉強が露呈し、すぐさま路頭に迷うことに。そして「このままではいけない!」とばかりに毎週末の書店通いがはじまりました。横浜市内はもちろんのこと、東京まで足を伸ばして仕事に役立ちそうな工学書を探していました。そのような中、ある日、息抜きに歴史書コーナーに立ち寄ったところ1冊の本に出会いました。それが、零戦の開発を詳細に記した小説だったのです。この本を1日で読み終え、50年以上も前(今から70年以上前)に自分がこれから取り組もうとしている振動問題と格闘し、やがて零戦を実用化に導いた先輩方がいらっしゃったことを知り、大きな興味を持ちました。当時、まだ振動工学的知識が無いに等しく業務経験もなかった自分にとっては、零戦の開発で大きな障壁となった振動問題が具体的にどのようなものであったか詳しく理解するには至らなかったのですが、それがきっかけとなって、仕事に対するモチベーションが一気に上がったのを覚えています。

それから20年ほどが経ち、その間に経験させていただいた様々な振動解析業務を通し、零戦の振動問題や2度に渡る空中分解事故の根本的原因が理解できるようになりました。すると、これまである程度理解していたつもりだったその原因が、実はもっと奥深いところにあることがわかってきたのです。そこで、この事実を零戦に関心をお持ちの方にお伝えしようとしたところ、どうしても振動工学を用いなければ説明できない部分があることがわかり、今回のセミナー開催に至った次第です。また、それと同時に、このような優秀な戦闘機が誕生した背景には、電卓もない時代、当時のエンジニアやパイロットの方々の弛まぬ努力があったこと、そこから現代のエンジニアに問いかけているものがあるように思え、そういったこともできる限りお伝えしたい、それも大きな動機になりました。

半分くらいが昔話になってしまいましたが、ご参考までに開催に至る経緯を綴ってみました。私事にもかかわらず最後までお読みくださり、ありがとうございました。またいつか機会がありましたら、開催させていただきたいと思っておりますので、そのときはまたどうぞよろしくお願いいたします。

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【朝日新聞デジタル 企画特集 「元気のひけつ」(9/2)】

 

at6-90s_02s【カバー写真】 今回のテーマ「A Long Time Ago..」にちなんで、昔の写真を探しておりましたところ、懐かしいものが出てきましたので、掲載してみました。1990年代半ばだったと記憶しているのですが、たまたま飛行訓練で訪れた竜ヶ崎飛行場(茨城県龍ヶ崎市)のハンガーに駐機していたノースアメリカンAT-6(SNJ)”テキサン”のスナップです。この飛行機は零戦と同じ時代に開発されたアメリカの練習機で、日本でのエアーショーのために来日していたようです。大戦機を見たのはこのときがはじめてで、その大きさに圧倒されました。幸運にも所有者の方のご好意により写真を撮らせていただくことができ、この場を借りて改めてお礼を申し上げたいと思います。左の写真は、ちょうど振動問題に取り組み始めた頃(20代)の筆者です。機体の大きさがおわかりいただけるかと思い、僭越ながら掲載させていただきました。今では懐かしい「写ルンです」で撮影していただいた記憶があります。

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